小原庄助さんのお墓 [おでかけ]
白河市にある小原庄助さんのお墓を見てきました。
民謡“会津磐梯山”で“小原庄助さん、なんで身上つーぶした…”と歌われている、あの小原庄助さんです。
歌の中の人、実在したとは思っていなかったので、どうせでっち上げだろうと思いながらも、知人に勧められるままに行ってみました。
白河市の中ほど、皇徳寺にありました。立派な門柱と案内看板があるので、すぐに分かりました。
さっそく門の中に入ってみると、様子が…
本堂が閉じられています。釣鐘も取り外されています。
どうやらお寺としては機能していないようです。
でも、墓地の中にも新撰組隊士と一緒の案内があちこちにあり、わかりやすく誘導してくれます。
案内されるままたどり着くと、以外に立派な墓所がありました。
その脇にある説明を読んでみると、中央にある立派な墓石は別人の物だということが書かれていました。
会津塗りの塗り師だった庄助さん(本名は久五郎)。その庄助さんに絵付けを教えた師匠のお墓だったんですね。
肝心の庄助さんのお墓はこちら。徳利と盃、酒好きの庄助さんの象徴です。会津には帰らないままだったんですね。
会津塗りの塗り師だったということは、本場の会津には庄助(久五郎)さんの手がけたものが残っているのでしょうか。
いつか会津若松に行った時には、漆器やさんででも教えてもらわなくては、と帰ってきました。
民謡“会津磐梯山”で“小原庄助さん、なんで身上つーぶした…”と歌われている、あの小原庄助さんです。
歌の中の人、実在したとは思っていなかったので、どうせでっち上げだろうと思いながらも、知人に勧められるままに行ってみました。
白河市の中ほど、皇徳寺にありました。立派な門柱と案内看板があるので、すぐに分かりました。
さっそく門の中に入ってみると、様子が…
本堂が閉じられています。釣鐘も取り外されています。
どうやらお寺としては機能していないようです。
でも、墓地の中にも新撰組隊士と一緒の案内があちこちにあり、わかりやすく誘導してくれます。
案内されるままたどり着くと、以外に立派な墓所がありました。
その脇にある説明を読んでみると、中央にある立派な墓石は別人の物だということが書かれていました。
会津塗りの塗り師だった庄助さん(本名は久五郎)。その庄助さんに絵付けを教えた師匠のお墓だったんですね。
肝心の庄助さんのお墓はこちら。徳利と盃、酒好きの庄助さんの象徴です。会津には帰らないままだったんですね。
会津塗りの塗り師だったということは、本場の会津には庄助(久五郎)さんの手がけたものが残っているのでしょうか。
いつか会津若松に行った時には、漆器やさんででも教えてもらわなくては、と帰ってきました。
2008-11-27 17:15
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コメント(8)
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実在したんですね。
ちょっとビックリです。
by こうちゃん (2008-11-27 19:18)
こうちゃんさん
はい、私も半信半疑どころか、
観光名所のでっち上げを話の種にするつもりで、行きました。
by emu310 (2008-11-27 23:07)
へぇ~って感じです。
ちゃんと看板もあるし、
白河の観光名所なんですね。
by kuwachan (2008-11-27 23:17)
実在したことに私も感心してしまいました☆
by テスベロ (2008-11-28 14:09)
kuwachanさん
墓所の説明板は古くからあったみたいですが、
案内板は最近の物のようでした。
これから名所になるかもしれませんね。
by emu310 (2008-11-28 22:43)
テスベロ さん
私も歌だけは子供の頃から知っていましたけど
本当にいたなんて考えもしませんでした。
by emu310 (2008-11-28 22:50)
おはようございます。
庄助さんは会津かと思ってました!!
by BPノスタルジックカーショー (2008-11-29 08:20)
BPノスタルジックカーショー さん
こんばんは。
会津若松の庄助さんが白河で絵付けの勉強をしていたんですね。
そして、そのまま亡くなってしまったということのようです。
by emu310 (2008-11-29 21:23)